ちょっとお出かけ
会津下郷町 大内宿
2005.11.18
大内宿は今も江戸時代の宿場の風情を残していると聞き訪れてみた。
大内宿のある会津西街道(下野街道)は会津藩が隣国に通じるために造られた五街道(下野街道、白川街道、越後街道、米沢街道)のひとつで会津若松と日光を結ぶ重要な街道だった。
旅の要所だった大内宿は明治17年、日光街道(121号線)ができると人通りが途絶え過疎の町となった。そのことが江戸時代からの町並みを今に残すことになった。茅葺き屋根が連なって建ち並ぶ様は日本のふるさとの風景として昭和56年重要伝統的建物保存地区に指定された。通りには蕎麦や田舎料理の店、会津塗りの箸やお椀、ちりめん生地で作った野菜や人形などのみやげものを売る店が並んでいる。
『ねぎ蕎麦』とは?
蕎麦に白ねぎが一本まるごとのっているのが『ねぎ蕎麦』だ。白ねぎを箸のかわりにして蕎麦を食べるのが昔からの習慣だったそうだ。もちろん、ねぎもいっしょに食べる。甘めのつゆとねぎの辛みがよく合って美味しいとのことだったが Poody も一緒だということもあって私は食べていない。それに、私には白ねぎで蕎麦をすくうことなど、とても出来そうにないからだ。